アトリエボーヌ 丸山保博建築研究所

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ロマネスクの旅

ロマネスク教会を見たくて

近代建築というものを見たくてアメリカ、ヨーロッパヘと旅をしたのは、もう20年程前にもなる。海外の建築を見るのは、雑誌や写真でしか無いその当時の自分にとって、実際の建物に直に触れる興奮、喜びはこの上無いことであり、今でもその時を思い起すことがある。 そのような旅で日毎近代建築を見て回るうちにその近代には無いものに近代以前のものの中に強く心を引かれ、無性にロマネスク建築というものを見たくて予定を変更し、フランスのカーンの教会を見に行ったのは、旅ももう半ばすぎのパリに滞在していた時であった。 あれから月日も流れていったが、いつか中世古代のものを見て回りたいという思いは、その時の流れとは反比例するようにさらにより強くなっていった。その思いより今回2002年8月22目から9月28日まで、フランスロマネスクを中心に念願の旅を実現することとなった。ロマネスク教会は、かたやゴシック教会の都市に比べ、小さな村や町に残っているものが多く、美しい自然の中、小さな村にひっそりとたたずんでいるロマネスク教会のいくつかを見て回り、来て良かったなあと実感した。 なお、フランスでは異質の文化の要素も多いパリ、そしてスペインのバルセロナ、グラナダも一緒に見て回った。以下地図に記す。その全てとは言えないが、参考になると思われるところを私見も含め以下に記してみたいと思う。

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素材について

〈石造〉

まず目に入ってくるのが建物が殆どといってよい程石造、石積みである。そして開口部は力学上基本的に半円にくり抜かれている。アーチである。美しい自然の中、石積みの納屋がポツンと佇んでいる風景は、地震国である日本ではなかなか目にすることは出来ないが、その素朴さ、力強さ、そして美しさは非常に魅力的である。その石積みの迫力はアビニョンから程近い所にあるボン・デュ・ガール、ローマの巨大な水道橋を見れば一目瞭然であろう。もちろん木造が全く無いという訳では無い。しかし、その使われ方はやはり石造との組み合せが多く、一般的に床や屋根等の曲げ応力を負担する部分に殆ど限られているようである。殆どの地域では庇は出ていなかった。屋根は各地域産出の土で焼かれた瓦で葺かれ、場合によっては壁と同様の石が葺かれているものも少なくなかった。 壁の石については、その建物の用途又財力によるのであろうか、小さな石から大きな石、自然形から切石まで様々であったが、ロマネスク教会は概して比較的小さめの現地産の石であった。後世のきちんと積まれた石積ではなく、その土地の不揃いの小さな石が不規則に積まれている様を見ているだけで時の経つのを忘れてしまう。

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〈石灰〉

石と並んで忘れてはならない素材に石灰がある。近代のセメントがまだ無い時代の材料であり、時には土や灰などと混ぜて石積のつなぎ材、下地として使われたり、又その石積みの表面の仕上材としても使われていた。ロマネスクの特長の一つである彩色画の下地にもなっていた。何といっても、その素材の特つ特色、魅力は強度追求の結果出来た近代のセメントでは表現できない、自然感、やさしさであろう。それはその製法の限りなく自然に近いというところからきているのであろうか。石と組み合わされいるその表情には何にも替え難い一体感が感じられた。表面的以上に石にとっては欠かすことの出来ない材料なのであろう。

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〈石造天井〉

何といってもフランスロマネスク教会の一番の特色は、内部天井も石で積まれているということであろう。「神の家]この石造天井の発生の源にはいろいろと考えられているが、前述の木材を床、屋根に使用する方法に比べ、いずれにせよ構法的には重力を考えれば非常に難しい方法であり、無理をした構造と言えるが、それだけにそこには強い意志を感ずる。天井まで石で覆われた空間に身をおいた時に感ずるあの素朴さ、緊張感、安心感は独特のものであった。なお、ロマネスク教会にはその石造の上に前述の石灰を薄塗りしているものも多く、その有機的な空間に一役買っている功績は大きいのではなかろうか。

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〈素材と伝統〉

あと一点は、何百年と建ち続けている石造の建物を、人々は極力壊さず利用し続けているということである。特に都市においては隣りの建物の石壁を共有利用し、連続して建てられていた。その様子は日本の町屋とよく似ている。連うのは日本では多くの所でそれらは壊され、各々独立して新しく建て直されたということ。そこには土地が細分化され価値の基本となり、まるで建物は付加物のように扱われている現状が見られる。それに比ベフランスでは建物が主であり、いろいろな意味で日本における土地と建物に対する価値関係とは違う反転があるのではと思えてしまう程であった。 現在フランスでもここそこで色を調整したセメントで建物を補修しているのを見かけた。しかし、パリのモンマルトル付近の建物の壁をはじめ多くの所では相変わらず石灰で補修されており、印象派の絵の題材にもなった風景は私達にやさしく語りかけていた。

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ロマネスク空間について

〈無垢の空間〉

ロマネスク教会の特長の天井も石造であるという点は、前述の通りである。そして、その石造の様子は各地域によって各々であった。最盛期のクリニューの桁外れの大きさには驚かされた。その構造以上にロマネスク空間の魅力は、石造空間としてはっきりと形式化される以前の、言わば自然な生まれたての無垢の空間の感覚にあるのではないか。それはディジョンの地下礼拝堂、シャペーズ、サン・パンタレオン等々多くのロマネスク教会で強く感じた。村の民家と同じように端部を飾ることもない素朴な小さな石で積まれた壁。深い壁のダキを待った開口部。柱というよりか全体に壁を彫り抜いたようなまるで洞窟のような空間。シャペーズの微妙にずれている平面軸や、シャティヨン・シャル・セーヌの微妙に垂直ではない身廊の石壁。設計図面というようなものなどなく、石工の技術もさることながら、まるで村人達の力のみで造られたかのような素朴な、粗野な、自然な空間であった。

〈光〉

それと合わせて、忘れてならないのは、光の扱いである。ゴシックの彩色されたステンドグラス、光で満たされた空間と比べるとロマネスクのその違いはよくわかる。前述の構造上からのみ成る空間のヴォリユームを確かめるように、なめるように差し込むガラスも通さず、何の飾りもないかすかな自然光。所詮構造上あまり大きくはとれない開口、いやそれ以上に作為的にしぼった縦長の小さな開口部から広がる光。それが演出する様子は見事であった。決して派手な演出ではない。大きな都市に建ち多くの人々を対象にしたゴシック教会に比べ、まるで定められた地に限られた人々、求めて来る人に対してのみ語りかけているかのようである。ヴィニョリの木造天井、各地のヴォールト天井、ペリゴール地方のドーム天井とその空間は様々であったが、光と共にあるそれらの空間を歩き、そして立ち止まりながら実感する時、それらは語りかけ、時には歌い、大きく動く。フォントネーの土間の砂利敷には意表をつかれたが、ふり注ぐ光をやさしく受け止めて美しく輝いて見えた。ル・トロネの光の扱い、輝きは他のロマネスク教会に比べ特殊に思えた。 また、その構造と光の扱いで大きな別れ道に、身廊と側廊との天井の高さを一体化して扱う広間式の形式があったが、やはり高窓からの光の方が私にはピンときた。サン・ギレーム・ル・デゼールの見事な空間は忘れられない。

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〈自然との―体感〉

ロマネスク建築の特色として、自然の立地条件を非常に重要視し、その一体化を計った点が上げられる。特に修道院形式をとっているシト一派のものに顕著に見られた。まず現地産の石が壁、屋根に積まれて周囲の風景と自然同化されている点は、他のロマネスク建築と同様である。自給自足を旨としている点から、人里離れた川のある傾斜地に建っているケースが多い。中庭を囲むように礼拝室他諸室が構成されているのも他と同様である。しかし、地形に逆らうことなく、その傾斜地に合わせた空間構成はたくみであり、礼拝室内部床にも段差があったり、又身廊が緩やかなスロープになっている場合もあった。 また、ル・トロネでは建物の比較的高い部分を斜面の上部に持っていく等、その地形の象徴性を高めていた。そして、わざわざその川の上にまで建物をのばし、川をまたぐように石積されている姿には、自然との一体感を計った並々ならぬ意志を感じた。その他、その地特有の姿は各々印象深く思い出されるが、シャティヨン・シャル・セーヌの丘の上、周囲の緑に埋もれてつつましく、ひっそりと建っていた愛らしい姿は忘れることが出来ない

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〈空間の創造の時代〉

ディジョンの地下礼拝堂は現在、その第一層目しか残っていないが、その当時の空間構成には驚かされる。身廊の途中から地下クリプトヘ降りて行くと、長く極度に暗い列柱廊があり、一香奥の3層吹抜けの円堂墓所に導かれる。その上部からはトップライト状に光が差し込んでいる。また、一般の巡礼者は地上レベルからアプローチし、この円堂に辿り着くと思われる。天井からふり注ぐ光は神の世界へと続き、下を覗けば深い井戸のような奥底にクリプト空間がぼんやりと照らされているという劇的な、壮大な空間が構想され、もうこの時代に実現されていたのである。 また、ル・ピュイ・アン・プレ山上教会がある。その景観、アプローチもさることながら、教会の内部の床は頂部の岩盤をそのまま利用し、その平面の形も頂部の額形をしていた。 ル・ピュイ・アン・ヴレにもう一つのロマネスク教会ノートルダム大聖堂がある。アプローチの急な坂を登って行った所に大きな人口を開けた教会である。その後アプローチの坂に張り出す格好で身廊を増設していき、結局入口は身廊のその途中から階段で上り入るというダイナミックな空間構成になっていた。
以上、バシリカ形式と円堂形式とを組み合わせたり、その他いろいろと見られる驚くべき空間構成は試行錯誤の結果であり、定型のない空間への挑戦の軌跡と感じた。重い石で天井を覆ったということを始め、ロマネスクというのは、まさに新しい祈りの空間の創造の時代であったのだと強く感じた。そしてまた、その背景にその土地での民族間のあり方を感ずるのは、その独特の造形の彫刻からだけではなかろう。

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共有される外部空間

ブルゴーニュ地方の小さな村のことであった。その日はアルケスナンという村にある18世紀の建築を見るため、朝からレンタカーで行き、途中休憩がてら車を止めその村を散策した。美しい村の民家はおそらく中世からのもので前述のように現地産の小石で壁は積まれ、瓦が葺かれていた。窓には今朝生けたばかりのような色鮮やかな花々が飾ってある。その庭には手入れの行き届いた植栽と本のテーブルと椅子、そして農機具の収まった美しい納屋があった。どれも建設されてから数百年は経ているようであったが、それは博物館の中ではなく、まぎれもなく今ここに確かに人間の生活の場として存在している。これは特殊な例ではなくフランスの地方ではどこにでもある風景であるということがわかってきた。突然その民家の窓から90歳くらいのおばあちゃんが何か盛んにフランス話で話しかけてきた。最初は勝手にウロウロしているのを怒っているのかと思ったが、どうも親切心で何か説明してくれているようだと感じたのは手を振って別れる頃であった。他にも似たような事があった。このような民家に往む往人達は皆その家に誇りを待っているのでは、きっとこのおばあちゃんも自分達家族の家や、村の美しさを自慢していたのであろう。

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ゴルドという集落もとても印象深い。広大な南仏の大地にゆるやかに盛り上がった石灰岩質の岩盤の丘があり、その丘全体がひとつの村になっていた。南面の斜面を削り住居の床をつくり、その削った石を谷側へ積み壁が出来ている。それらが集まりとても魅力的な集落が生まれている。現在の日本のようにその場所の地形を無視して造成し、更地にした均質な宅地とは異なり、その場所とまさしく一体となった建築の集積には感動した。それは人間がこの場所で生きて行くんだという、建築が生まれたその最も原初的な場面に出会ったような体験であった。どこからが建物でどこからが地盤なのかわらない、とても魅力的なまさしくその場所固有の風景を形成していた。 このようなその場所の歴史、文化、自然に根ざした集落と共に、まだまだ中世から続く共同体としての生活を人々は共有している。それを感じさせてくれたのはどんな小さな村、都市にも共通してある教会と広場であった。中世からの街並みというのは、とても狭い露地状の道が街区の間をくぐりぬけるようにある。不規則に曲がっていたり、ぽっと開いて民家の前庭、階段に面していたり、作られたというよりか時間をかけ自然に作り出されてきたという感覚の、とてもおもしろい魅力的な空間であるが、一見すると迷ってしまいそうである。特に傾料地に発達した中世の露地空間は立体迷路のようであった。しかしそこには不思議なわかりやすさがある。どうやらそれはどれも教会と広場を中心に形成されているためのようである。どの道も必ずといっていいばど広揚と教会に接続されていて、無秩序なようで大きなしくみがあり、その場所で生きて行く共同体の繋がりのようなものを意識できる。ある朝散歩がてらそんな中世の露地空間を散策していると教会前の広場に出た。そこでは朝市をやっていて、とても活気に満ちていた。それはスーパーマーケットにとってかわられる前の日本でも日常的にみられた光景なのかもしれない。その町で生まれ、生活し、皆が共有する場所があるということ。大人もおばあちゃんも子供もなんとなく過ごす共通の居間や台所のような場所としての広場が生き生きとそこにはまだある。 それはいい意昧での共同体の存在と、そこで生活する人々の帰属意識を現在でも育んでいるようであった。

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伝統と近代
産業革命による大量生産、そして近代。そこにはそれ以前とはとても大きな違いが存在しているのではなかろうか。そしてまた、自分白身も間違いなくその中で生活しているという事実は否定することは出来ない。日本では感じとれない時代の流れの結び付きをこの旅では実感した。一つには確実に伝統というものが引き継がれていること。古い石造の建物を極力残すこと、そして新築の建物に厳しい規制があること等、現代という時代を真面目に模索している姿勢を強く感じた。 パリの中世の裏道を残しながら都市計画的な軸線を通すというバロックの手法。
電柱や排水設備を視界からなくし、景観を優先した目立たぬようにデザインされた店の看板。 町中は目立たぬように小さな信号機を設けるが、町の外の交差点はロータリーにし、信号機はつけない。 地下鉄の照明も極力おさえ、無駄なアナウンスもしない。自動ドアも町の建物同様極端に少ない。 電車のドアは自分で開き、車のガソリンも自分で入れる。改札口のない駅。 中世の露地空間にガラスのおおいをかけたパサージュ。共有された「部屋]として意識された外部空間。 ガウディの生涯組積造にこだわり続けたこともそうかもしれない。 ひとたび町を出ると日本のようなプレハブで建てられた即席の派手なおみやげやもなく、そこには自然の地形なりの美しい「自然」があった。しかし、それはすみずみまで人の手の入った美しい「自然」である。そしてその自然の地形に合わせて通された車道。ガ-ドレールも照明もない。シンプルである。かといって車は決して嫌われている存在ではない。町の中でもそうであったようにあくまで自然や街並みや人間の生活が最優先される。そう、長い歴史の中では車は新参者なのである。それは文明を作ったのは確かに自分達だが、これ以上は近代文明は受け入れない。いや受け入れるにしても最低限という決意のようなものにも感じられた。 高速道路のドライブイン。小さな売店とガソリンスタンド、そしてトイレ。そんな程度であとは目立ったモノは何もない。車を止め皆思い思いに芝生の上に座り、寝ころび、本を読む。周囲は手の入った美しい緑の平地と森。森の際には野いちごが茂っていて、食後のデザートにつまんでみると甘酸っぱく、なんだか懐かしい味がした。ピクニックのようでうれしくなった。好きな事が出来る芝生。何も余計なモノがない気持ち良さ。消費消費では決して得ることの出来ない贅沢な気分がそこにはあった。

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旅の楽しさはやはりその「場所」との出会いにあると思う。だからというわけではないが日本の現在の在り方に思いがめぐる。都市的な生活環境を目指すだけでなく、自分達のささやかな自然や歴史、伝統がどれほど価値があるのか。これからの社会は間違いなくグローバル化が進んで行くだろうが、そんな時代に大切な事は「自分らしさ」、その土地その場所で共に生きて行くという原点に立ち返ることなのかもしれない。均質化の波にのまれ気がつくと、誰にも愛着の持てない不幸な町や都市ばかりが増えていくのでは、と思うのは私だけであろうか。

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まとめ

フランスを旅するうちにこの地域、言葉、そしてこの人達、生活、と何かぼんやりと感じられるものがあった。それは複雑な民族間の共同体としての建築というものであろうか。ロマネスク建築もある意味ではその生き証人ではなかろうか。そして、それは特に集合住宅、立体的な低中層密集という形式に、その外部空間も含めていろいろと感心させられるところがあった。なにしろ集まって住むということを謙虚に楽しむという姿勢を大切にしているのを強く惑じた。かつては日本にも西洋程立体的ではないにせよ、そのような空間は存在していたはずである。集まって住むということは共有される場所があるということ。そして、それは「共有される記憶」としての場所であってはじめてそこに帰属する意識を育むのであろう。場所の記憶とはカタチというよりも肌触りのようなものではないだろうか。市場での焼きたてのパンや生花の香り。人々の話し声。そして身体を包み込む素材の数々…何百年と踏まれた石畳の床、やわらかい石灰塗りの壁、その土地を削って積まれた小ぶりの石と石灰の目地、道端の土と同じ色をした瓦の屋根、入口の大きな木のまぐさ…。そんな身体に直接語りかけてくるモノの存在に、なんだかほっとする。自然に畏敬の念を感じ哲学を始めたのも西洋と聞く。近代の文明を作り上げたのも西洋なら、その文明の正と負とを一挙に引き受けているのも当の西洋であろう。建築の本質に構築というものがあるとしたら、その素材、場所、生活を通し、その問題から逃げずに、いやそれ以上にそれらを大切にし真面目に取り組んでいる姿は、非常に参考にすべきではなかろうか。 ヨーロッパの町々には必ずといっていいほど美しい旧市街があり、新市街がある場合は必ずそれを守るように別の地域へと伸ばしている。しかもその旧市街は単なる観光地だけでなく、現代も市民の重要な生活を楽しむ空間となっている。日本にはほとんど無い光景でありなんともうらやましい限りである。それならば今からでも後世に残すべき、その古い部分を残していけたら、いやそれを創っていけたらと考えるのは無駄なことであろうか。 最後に同行した諸氏、協力して頂いた方々、無事に回れたことに深く感謝して終りにしたいと思う。

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