内部空間

アイルランドの西部のガララス礼拝堂は、修道院内の礼拝堂石積み建築の特長を現在にとどめている数少ない道跡の一つである。舟底の天井、奥行約4.5メートルという狭さに小さな開口窓が一つ。限りなく個室に近い礼拝堂である。この種で円形のプランを特つものもあり、人と人とが集う独特の極限空間である。その狭さ、小ささ、暗さはどこか日本の茶室をも思わせる。違うのは日本のその壁はそれが主というよりか、外部周囲のアイルランドとは違うあくまでおだやかな自然を感じさせる「囲い」という装置であるという点であろうか。

一般に集会所、あるいは聖堂としての「機能的な面」は概略的に言えば床面の形、大きさすなわち平面構造を大きく規定する。これに対し天井を含め垂直方向の各部は、どちらかと言えば「情緒的な面」を色濃く反映する傾向が大と思われる。人が聖堂を外から見る時も内に入って見る時も、視線は床よりも上方に注がれるゆえんであろう。特に天井を石造にするということはいずれにせよ構造的に重力に逆らった非常に難しい方法であり、無理をした構造と言えるが、それだけにそこには単なる機能的なものを越えた強い意志、精神的なものを強く感ずる。 ケルト修道院の諸建物は、大陸のロマネスクよりはずいぷんと前の時代にその起源ははっきりとはわからないが、天井も石積みとした完成度の高いシンプルな空間となっている。その構法上、造形上の関連は直接にはなさそうにも思えるが、もともと空間造形とは抽象的なものであり、もちろんロマネスクにおいては多民族間の多くの疸跡を見い出すことが出来るが、期せずしてケルト、ゲルマン的なものが時代、場所を越え両者の中に色濃く脈々と流れているかのように大陸のロマネスク聖堂と相通ずるものをその彫刻だけにでなく感ずるのは、その空間の静かで強く、包み込むような神秘性のためであろうか。いずれにしても人と空間とは常に一対一の関係なのであろう。

ガララス礼拝堂(アイルランド・7世紀頃)。不規則な扁平な小石板を厚み1m近く積み上げている

ガララス礼拝堂内部。限りなく個室に近い礼拝堂。小さな開口窓一つの極限空間

コーマック礼拝堂(アイルランド・ロックオブキャシェル12世紀)。アイルランド・ロマネスク空間

ヨーロッパ大陸のロマネスク空間(フランス・キュクサ)。神秘的空間

イタリアのロマネスク(サンタビーナ教会)。木造天井ではあるが、同質のロマネスク空間を感ずる

ロマネスクの彫刻スケッチ(フランス・セラボヌ)

円塔(ラウンドタワー)

ほとんどの修道院の敷地の中に円塔が建っている。円塔というとそれは単に円形の断面を持つ塔を示すにすぎないから、その意昧での円塔ならば世界いたる所にあるといってさしつかえないかも知れない。しかし、アイルランドの円塔は独特のものである。まず独立して建っているということ。一般にその輪郭は円形で、上へ行くほどわずかに直径が小さくなり、かつ先端に円錐形の塔蓋を戴くきわめて平凡なものであり、おそらく多種多様の塔建築の中でも最も単純素朴なものという感じを起こさせるであろう。 その壁面は、たいがいその付近で集められた自然の粗石をそのまま、ほとんど何の加工もせず積み重ね、粗悪な漆喰で固めたものである。鐘楼、望楼、標識塔、そして人目が高い所に設けてあるところにより外的に対する強固な抵抗の場所として使用されたといわれる。梁穴の遺存によって場内に本床張りが存在していたといわれ、窓は各所違う3方向に一つずつ、最上階には東西南北の四方に一つずつ計4個設けられているのが原則的である。

塔とはその機能的目的もあるが、太古以来精神的な部分のあらわれが強いものと思われる。大陸のロマネスクの塔も美しいが、アイルランドの塔はその起源のはっきりしていない点も多いが、概して大陸のそれよりも古く、その美しさは格別である。一説にキリスト教修道院と共に築かれたといわれるこの美しい塔を前にして、なぜか前述の究極の礼拝堂内部空間と、一対の同質の精神を強く感ずるのは、はたしてその素材のせいだけであろうか。グレンダロッホの聖ケヴィン教会堂は、円塔が合体したアイルランドでは非常に珍しい建物で興味深い。

ヨーロッパ大陸のロマネスクの塔(フランス・パリ・サンジェルマン)

アイルランドの円塔(グレンダロッホ修道院跡)

円塔の基礎と壁面。入口が高い所にある(アイルランド・グレンダロッホ修道院跡)

円塔が合体した珍しい礼拝堂(アイルランド・グレンダロッホ聖ケヴィン教会堂)

ケルト十字架

円環とドッキングした、これまた独特の形の十字架を「ケルト十字架」という。人の背丈をはるかに越えるものも多い(ハイクロス)。およそ8世紀に入り発達をとげたと言われるが、それ以前にも立石、石碑の類は存在している。巨石崇拝を引き継いだ古代ケルトでは、大地から生えたような「石」そのものへの信仰があった。およそ傑刑のイメージの希薄なケルト十字架の林立する風景を前にすると、アイルランドの中世のキリスト教時代にも引き継がれたケルト人の石に対する恐れや、敬い、思いを強く感ずる。すみずみまで施された、ケルト人特有の緻密な渦巻きや組紐の動的な線刻模様。不安をさらに突きぬけたような怪しさ。そう、ケルト人は生きている喜びや不安というものを誰よりも強く知っているのではないか。そう思うのは現代人である自分だけであろうか。そしてさらに長い間見入り、身を任そうとすると、言いようのない心地良さが横切る。いや、それはその十字架の背景に見え隠れする豊かな緑のひろがりのせいかもしれない。この十字架、もともとは修道院内ではエリア分け、魔よけとして東西南北に立てたりしたものらしいが、やがて町の広場や村の辻等で人を集めて説教をする場にも置かれるようになったらしい。

ケルト十字架(アイルランド・モナスターボイス修道院跡)。円環とドッキングした独特の形

ケルト十字架詳細(アイルランド・モナスターボイス修道院跡)きざまれた独特のケルト文様

ケルト十字架と円塔(アイルランド・モナスターボイス修道院跡)

共同体と個人

ヨーロッパ大陸のロマネスク様式の特長である内部空間における石造の天蓋、及び塔をその外部空間にそなえていること等は、アイルランドのケルト修道院でも時代がもっと前にもかかわらず同じ形式の特色を持つことは前述の通りである。いやそれは見方によってはケルト修道院の方が単純で、純粋、言わば独特な理想的な造形を作り上げたとも言えよう。それは大陸より追われながらも結果的にアイルランドという島に、単一民族に近い形で残されたためなのかもしれない。いずれにしても両者とも定形のない新しい祈りの空間の創造という点では共通していよう。 そして、どうしても触れなくてはならないものがある。きびしくもあたたかな自らの作り上げた理想的な共同体というものの存在にもかかわらず、なぜわざわざこのような厳しいところで修行をと言わしめる精神。故国を離れて異郷を放浪。完全な孤独の中で真の修行とする精神。しかし、それこそが逆に大陸へと布教されるようになったわけだが、共同体からも許される、いや共同体というものをリードするとぎすまされた個人の創造的精神。それはアイルランドの厳しくも美しい魅力的な風土と切っても切り離せないものなのかもしれない。

イタリアの山岳都市(ローマ近郊)。中世の共同体

イタリアの山岳都市(イタリア・ポリ)見事な共同体の立体路地空間

修道士の済んだ石室(スケリング・ヴィヒール)。円形のブランで素朴に積み上げられた石積造

スケリング・ヴィヒール島。アイルランド本島より西沖15km。頂上に修道院跡。ケルトの「エグザイル」精神は辺境の負性を逆転させる

まとめ

日本に戻り気付いたことを記してまとめとしたい。 まず、石積造のすばらしさである。ケルト、古代よりの石に対する思い、いやその単純に石を積むという行為ゆえか、その美しさは想像以上である。もちろんその目地材としての石灰の重要性は言うに及ばぬが、ともかく石積の精神的力は愛しささえ感ずる。地震国である日本では、それが原因か定かではないが、所詮なじみの薄い構法、素材と言えよう。しかし、それにもかかわらず、その美しさは万国共通のものであり、少なくとも日本においてもそれを無視する必要はなかろう。

ヨーロッパ、アイルランドと回って強く感じたのは、日本の自然の豊かさである。比べてみてわかることであるが、無条件にすばらしいということ。平凡ではあるが、限られた自分達のささやかな自然や歴史、伝統を大切にするべきであると思う。

美しい石積造の民家(フランス・ルーブレサック)。現地の石を石灰の目地と共に積む

豊かな日本の自然(日本。奥出雲)

ケルト修道院(アイルランド・グレンダロッホ修道院跡)。自然がとけ込むように美しい