アトリエボーヌ 丸山保博建築研究所

西欧の手法と和の心を取り入れ手づくりの良さを生かしながら心やすらぐ情緒的完成度の高い建築を提案していくアトリエです。
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素材の本質の中に-ヒューマニズムの限界-

現在の問題

《神が人間をつくったのか? 人間が神をつくったのか?》

神や精神が世界や物質をつくったのではなく、世界が物質が、人間という頭脳が、精神や神、物質以外のものをつくったのである。人間の精神の底辺は物質である。人間の精神、心はその物質的環境を底辺に持ち、そこを良くしない限り人間の心は良くはならない。その物質環境の基本因子は、社会にあてはめると「経済」である。「金」である。つまり利潤を目的とする生産を、そのような環境を正さない限り、その社会の中にいる人間は幸福にはなれない。
「唯物論」である。「資本論」である。資本主義に唯一本質的に対峙する哲学、思想と考えられて、その思想によって多くの犠牲の上に国がつくられた。社会主義国であり、共産主義国である。今ここで、両者の是非を論ずるつもりはない。しかし、それは避けて通ることのできぬ人類の大問題であったことは確かである。

《資本主義も社会主義も同じ生産の上に成り立つ》

資本主義社会の矛盾を直すために、社会主義は計画経済を唱え、疎外されぬ労働を目指す。資本主義的生産の発展と高度化を受け継ぎながらも、社会主義的労働は神聖なものとなり、ここに人道的ヒューマニズムとでも言えよう理想の社会が完結する、と……。
社会主義もあくまで人間労働を、いや生産主義を讃美し、社会の発展を目指す。何度も言うが、ここで資本主義、社会主義の是非を問うつもりはない。ただ言えることは、唯一資本主義からの救い手とみなされた社会主義的構造も、地球の生態系にとっては、同じ「負荷」であったということである。

かつてのベルリンの壁。今はない。塀の右側が旧東ドイツ(社会主義国であった)
かつてのベルリンの壁。今はない。塀の右側が旧東ドイツ(社会主義国であった)

《人間にとっての生産力は自然にとっては破壊力》

人類は利潤のため、いや利便のために大量の酸素を燃やし続け、二酸化炭素を放出しまくり、地球温暖化の問題が引き起こされただけでなく、かつてバクテリア、原始生物が20億年以上かけてつくった酸素と、紫外線が反応して出来たオゾン層に穴をあけて今までの地球を台無しに、いや破壊しようとしている。人類はそうした行為を「生産」と呼んでいるが、地球、いや自然生態系にとっては破壊行為となっている。それは資本主義的「疎外された労働」であろうが、社会主義的「疎外されていない労働」であろうが、資本主義的「商品労働」であろうが、社会主義的「計画経済労働」であろうが、かわりはない。
マルクス主義は、人間の人間に対する搾取は問題にしたが、人間の「自然」に対する搾取は問題にし得なかったといえよう。社会的労働も高度化すればするほど、また生産力が増大すればするほど、地球にとっての負荷が増し、自然生態系の破壊が進むということになるのではないか。

《環境問題は人災である》

現代、問題視されている環境問題、酸性雨、異常気象、洪水、砂漠化、森林破壊、水問題、資源問題、これらは、全てここにきて、人間が引き起こした問題である、とは「不都合の真実」として現在広く知られるようになってきたようである。環境問題とは何ら関係ないと思われていたエイズ問題もまた、もともと環境破壊が原因で、人災であることがわかったという。
環境破壊によって、絶滅の危機に瀕したミドリザルに宿っていたエイズウィルスは、その自らの延命を掛けて人類に寄生しだし、もともとはおとなしいウィルスだが人間に寄生するようになって突然変異し、凶悪化したといわれる。

《自然の鎖の輪を断ち切った人類》

その原因となっている人類も、遠い昔は食物連鎖という自然界の掟に従って生きていた。直立歩行により自由となった手で「道具」を使い、自分達よりも大きい動物をしとめることができるようになる。人類はついに自然界の食物連鎖のトップに立つことになった。
そして、もう一つ大きな転機は、農耕社会の形成であろう。獲物を求めて移動生活をしていた人類に画期的なことが起る。農耕、牧畜社会の形成である。植物の作物化と動物の家畜化により、旧石器時代とは比べものにならない規模の生産力を自然から引き出すことになった。もちろん自然の恵み、土、水等の存在あってのことは言うまでもない。これは、人類の自然支配のスタートと言っても過言ではなかろう。定住により寿命は延び、知識も蓄えられ、そう、文明の出発点ともなった。それはまた、自然の支配、破壊を飛躍的に増大させるとともに、人口の急増をもたらしたといえよう。

世界経済と人口、食糧、環境の予想図
世界経済と人口、食糧、環境の予想図

《自然破壊を激化させる大量生産・大量消費》

それ以後、人口は急激に増していくことになる。産業革命の直後には、人類は約10億人に達する。それは、前述の農耕文明以降の漸進的な人口増の結果であった。ところが、それ以降の人口の増加は、100年後2倍の約20億人。その50年後に、その倍の約40億人、1999年には60億人を越えてしまった。これはもう、農耕革命どころではない。人類は、過去数百万年かかって増加してきた人口を、産業革命以降の200年足らずで驚異的な増化直線、いや曲線で更新したことになる。人口の増加は、今や地球の許容力を越えようとしているといわれる。いや、もうとっくに越えてしまっているのかもしれない。
過去1万年で人口が約1000倍となり、1人の使うエネルギーも約100倍となった。つまり、1000×100=約10万倍のエネルギーが地球にとって増えたことになると、先日テレビで放映していた。しかも、地球が生まれたのを1年前と例えると、産業革命が起きたのはつい2秒前ということになり、つまり、地球にとっては一瞬の間に増大な負荷が与えられ、自然の生態系の破壊がなされているということになる。

《それまでのレベルとは異なる自然破壊》

生産力のほとんどが労働力である限り、その自然に対する破壊力はしれたものであり、木材の燃焼による火のエネルギー、火力の利用が加えられても地球全体の生態系への致命的な破壊力にはならなかったといわれる。人間による大地の耕作は森林を破壊し土壌を劣化させ、いくつもの地域を不毛の地にしていったが、それでも産業革命以前に行われた自然破壊は、産業革命以後のものに比べれば、ほんの微々たるものでしかなかったといわれる。産業革命以後は、過去をはるかに上回る規模で破壊が進んだことになる。
産業革命は、人類による自然破壊の次元を全く変えたようである。生産のエネルギー源が木材等ではなく、地球に何億年もかけて蓄積した化石燃料となったことが決定的であった。生産力の発展により、人間は無限に発展していくという生産力賛美、自然を利用、征服できるという科学技術賛美も大いに拍車をかけ、大量の農民が大地から引き離され、「自由な街の労働者」になっていったことと同時である。

《自然の系とは違う別個の系で生きる人間の大群》

自然の中から生まれ自然と共に生きてきた人間が、今やその自然を、いわば育ててくれた「親」を食いものにし、ゴミ捨て場にする大群として、歴史上に登場したことになる。すねかじりの大群である。自然とは別のサイクルの「人間系の閉じた社会」の完成である。その中では「あいまいなもの」は許されず、その系の維持、・そしてその系の確固たる目的にあった性能の追求が賛美される。
「新建材」しかりである。そうした人間の大群と機械、そして太古より眠っていた地球上の物質「石炭」「石油」とが結合し、「産業」と転化した時、それは人間の系の閉じた中で回転運動となり、人間にとっては喜ばしき「生産力」となり、自然にとってはそれまでの歴史上のレベルとは異なる自然の大破壊となる。人間のストレス(?)、人道的ヒューマニズム(?)どころではない。閉じた系の中での機能主義、性能主義、いやヒューマニズムそのもの、人間中心主義という価値観の限界ではないのか? もうそれ以前の地域的、部分的環境破壊というレベルではなく、20世紀以後の大量生産、大量消費文明が行ったのは地球環境そのものの大破壊だったのではないのか。

循環の思想

《価値の転換》

私には、今まで述べてきたような問題をとり上げるだけの知識も資格も無いということは、よくわかっているが、どうしても社会の価値観というようなものに少なからず関与する、建築設計という仕事上、避けて通ることのできぬ問題であり、稿を進めることをお許し願いたい。しいて言えば、自分で自分の建築的倫理観を問う姿と思っていただければと思う。しかしまた、そうすることが免罪符とならぬように。
さて、地球環境問題を解決、いやすこしでも改善するための方法というのは、今やもう耳にタコができるくらい聞いている循環型社会の実現。これしかないといわれている。唯一これ以外にはないと。もともと、人間自身は自然生態系の一部であり、かつて自然生態系の中に人間の生活が組み入れられていた時代があったといわれている。日本の縄文時代であると。 一部食物の栽培を併用していたか否かという問題は別としても、狩猟採集を主として定住生活を営み、約1万年もの長きに存在したのは日本独特ともいわれている。自然との共生、循環を意識せず行い、動植物と人間とを区別しない世界観から成り立っていたといわれる縄文。以後は、自然支配型の農耕牧畜文明にとって代わられることになる。農耕牧畜をその気候風土上、いち早く組み入れざるを得ず、その中でも自然との共存、循環の生活を営んだともいわれる西欧のケルトと時代を前後している。

《2つの縄文》

「照葉樹林文化」という言葉がある。日本の文化の基礎が、シイやカシといった照葉樹林(常緑広葉樹中心の森)が広がる南西日本の縄文時代にあるという考えである。しかし、遺跡の数からもわかるとおり、かつての縄文文化の中心は東日本であった。落葉広葉樹である「ブナ」を中心とした「ブナ帯文化」である。
ブナの森は明るい。落ち葉が堆積して土をつくり、何百年もかけてその土が水をつくり、その水がまた豊かな山の幸、そして川海に恵の幸をもたらす。それに比べ、西日本中心の照葉樹林の中は、落葉しないために一年中暗く湿気が多く、食料も少ない。そこに稲作が入ると、こぞって人々は水田や畑を大規模に作り出す。全てが自然のまま循環されて、狩猟採集でまかなわれていた生活が、またたく問に稲作を中心とする文明にとって代わられることになる。それは、人間と動物、植物を本来同一のものと考える思想ではなく、はっきりと人間と動植物との間に線を引き、人間の意志下にしようとする思想を秘めているといってもよいであろう。人間の住むのに都合のよいように、自然を変えていこうとする考えが感じられる。もともと土地の痩せている西欧では、いち早く農耕牧畜により森林を食いつくし、それがまた、その人工化に拍車をかけたといわれる。その中でも、循環の思想、生活に近かったといわれるケルトの民と、どこか日本の縄文に合い通じるものを感ずるのは、似ている「うず巻文様」のせいだけではなかろう。

ブナの森。明るい。白神山地
ブナの森。明るい。白神山地

《滅びゆくものを悔いる、または滅びゆくものを愛でる》

いずれにしても、縄文もケルトも追われるように消えていく。いや、とって代わられるといった方が適切かもしれない。西欧ではそれを悔いる(?)ようにロマネスク教会が残る。日本の豊かな「自然」の中に、また西欧の乾いた石積の空間に、脈々と流れる共通した美しさを感ずるのは私だけであろうか? それにしても、縄文の、いやブナの森は明るい! そして美しい!かつては敗者となったブナの縄文。その明るさを本当に愛しいと思えるのは、一度は日本で同じ敗者でもあった、薄暗い照葉の森の魂だけからかもしれない。ちょうど「茶の湯」の作法のように……。

照葉樹林帯の森、宮崎県綾町。 2006年10月
照葉樹林帯の森、宮崎県綾町。 2006年10月

2006年10月。ブナの森。同じ時期の照葉樹林の森との比較
2006年10月。ブナの森。同じ時期の照葉樹林の森との比較

《戻ることは出来ない》

現代の環境破壊が、現代の人間の作り出した文明の結果であり、しからばその理想像を江戸の循環型経済に、いや農耕社会以前の縄文に、遠くケルトに、またそれ以前のアニミズムに求めるという考え。それは、生産力と人口の問題、社会構成の問題等、過去を参照にはできても、後戻りはできない。後戻りできるくらいなら、環境問題は起らないのである。今の文明を否定してしまえば、解決するという考えは、今、現代を生きている以上無理なことといえよう。それでは、現代の文明を認めながらの循環社会ということになるのだが……。

《いま、ここ、かけがえのないという考え》

かつて人類は、自らの居場所がいろいろな意味で限界に達し、そこでの延命が不可能であると判断した時、集団で移動した。遠く縄文人しかり、はるかケルト人しかり。だが今日、もはやどこにも移動すべきフロンティアは残されていない。人類は宇宙船地球号から、もはや逃げ出すことはできないのである。「どこかにある」ではなく、「ここにしかない……」と。「いつかある」ではなく、「今でしかない……」と。代替品、代替地はないという考え。理想? あるとしてもそれは、今、ここにという考えでしか存在できないということ。そう、かけがえのない今、ここ。

《物にたよることのない楽しさ・豊かさ》

人類が現在保有する核爆弾の、何万倍もの破壊力を持った隕石の衝突で、地上の大部分の生物が死に絶えても、今日のような生態系を創造するだけの力を持っている地球。地球を守るという考え自体が、人間中心主義から生まれたものであり、人間は地球にとって新参者であり、自然の片隅に、自然によってかろうじて存在が許された生物なのであるということを「自覚」すること。そして、個々人の物質的欲求や、幸福の追求から出発する価値観から、地球生態系の「美」を規範とする価値観への転換。それは、人間がいない方が良いというのではなく、つまり人間が、自然生態系の循環にとって重要な一部に、そして必要な存在になることが求められ、問われることになるのであろうということである。
人間系の閉じた中での生産された、人間系にとって便利な「物」にたよることのない、自然と連絡した循環した、各人の王道のない個性的な生活を歩むことに価値を置く、豊かな時間。 ― シンプルな生活 ― 提案である。

《地球に負荷を極力与えないという考え方》

要は、地球に負荷を極力与えないという考え方が求められよう。縮小。循環。やはり、循環以外は一時しのぎということかもしれないが、いずれにしろ、負荷を与えないということが急務ではないのか。科学技術も、もちろんその負荷の軽減のためにというごとになろう。と同時に、人間は地球にとって潤滑油という脇役になるという考えも必要なことと思われる。ヒトとしての英知と感性の総力をそこに向けること。同時に、労働の意味も喜びも、そこに存在することとなるのではないか。あくまで自然の恵みの中で。

素材

《感動の意味-「もと」になるもの-》

この稿を書きながら、目の前にある土壁にそっと手を触れる。うっすらと浅葱のさした土である。今、ここにいることを無条件で祝福してくれているような、しっとりとして、それでいて乾いた感触である。そう、あの時のなつかしい感覚でもある。
それは、設計という仕事を通して社会に出た3、4年目の頃であった。ある仕事を任された。施主、事務所、現場、多くの人が関わる中、多くの価値観が自分を問い詰める。過程のための過程と化した経済、いや「金」。何と無慈悲なことか。それでも当時、なんとか強がって何か「人間らしさ」と感ずる気持ちを持ち続けもしたが、同時にそれが、何とバカげてつまらぬものかとも思った。所詮、それは社会の荒波にもまれたこと、つまらない悩みと考えても、当時の自分にとっては余りある苦しみ辛さであった。朝起きても微熱が続き、喉がつかえ、自分の手を握っても自分の手という感覚が持てない。何とかしたい。何とかしなくては。ワラをもつかむ気持ちで、今まであまり読んだことのない分野の本を読み、夢中で建物を見て回った。いつしか、ある建物に出会っていた。戦禍の土で焼いたほんのり土色がかった灰色のレンガ積の教会である。手さぐりで建物中徘徊した。いつしか、そこに見ている自分でなく見せられている自分、感じている自分ではなく感じさせられている自分があった。自分の中にありながら、今までわからなかった自分以上のもの。自分でもどうしようも出来ない大きな喜びで、今自分が生かされていることを実感した。あきらめずに持っていた、いや、生まれる前から持っていたのかもしれない、頼りない細い糸が、はっきりと一本の太い線でピーンと全てつながったような、そんな感覚。感動? 言葉を超えた喜び。体の底から涙が溢ふれ宙に浮くようにも感じた。これなんだなあという実感と共に、教われたという感謝の気持ち……。

《素材の力》

また、このようなことを書くことをどうぞお許し願いたい。しかし、自分はそのような体験でしか、「その実感」を感じ、そして伝えることしか出来ないのである。どう思われようとご勘弁下さい。
このような実感、感動はなければないで、またあったとしても、それは多くの中の一要素としての問題でしかないと。……否! それは無視することが出来ない。いや、それを頼りに、それをよりどころに生きることが出来るもの。その存在の重さゆえに、ここで述べることになる。
そう、それは確かにその建物の「素材」のせいだけではなかったと思う。しかし、確実にその素材感が担っていたことも確かである。つまり、その素材感がなければ、私のその実感は無かったということである。現に、それ以後「素材感の持った」いくつかの建物に無条件で「同じ思い」を覚えることとなる。建物だけでなく、その建物を成す素材の力は思っている以上に大きい。

《芸術の意味》

建築に限らず、車、橋等工作物といわれる全てのものには、いくつかの機能が含まれているといわれる。「実用的機能」「物理的構造的機能」「情緒的機能」「地域文化的機能」等、そして、そこに前述からの「地球自然環境的機能」とでもいうべきものの考慮急務というのが、提言の別のかたちにもなっているのだが。ここでは、それと同時に「情緒的機能」の重要性について述べてみたいと思う。
いわゆる「雰囲気」。しかし、それは感性、感情を持った人間が物をつくる、そして受け取る上で、決して無視できぬものであろう。ただし、一般にそれが稀薄である場合や、それが第一の目的になりにくいことから、あっても判りにくい。もちろん、各々の機能は互いに絡まり合いながら働いている。そして、その「情緒的機能」は、時として第一義となることもある。それは、芸術の分野となろうが、感動体験はもちろん、前述よりその意味は思っている以上に大きいと思われる。
人は生きている。常にその死をその内にはらみながら。現代人の人間の棲む、生きるという深い意味を、また現代人の魂のやすらぎ、心の癒しを直接理解し共感し合えるのは、実はその「感性」「感動」「実感]、その情緒でしかないのではないか。いや、実はそのための他の機能ではなかろうか。前段でとり上げた「地球自然環境的機能」もしかり。「感動」「実感」の無いところから、生まれている全ての論理の何と暴力的なことか。それ程、重要なことのように思える。「人にどのような影響を与えるか」である。そして、それはまた、人を豊かな生活、倫理、芸術へと駆りたてる唯一の「もと」ではなかろうか。現代の限られた完結した人間系の中での芸術に、どこか「わがまま」を感ずるのとは対照的に。

《自然の素材》

かつて、パリの街の、白壁の美を追求した画家は、絵の具にその壁材そのものを混ぜ、壁を荒塗りするようにパレットナイフでキャンバスに塗り込め、描いたという。それでしか表現出来なかったのであろう。自分の内にあり、自分ではどうすることもできない実感、人が生きているという実感、生きていることを祝福、肯定される実感、喜び、感動のかえがたい担い手として「自然の素材」があろう。どんな感情、精神も物質、いやその素材を介してでしか伝えることが出来ないのではないのか。知を迂回することなく。手法、人工もそのためのものとなろう。
「自然の素材」。その存在の意味を、それを使うことの意味を、人は問うことができない。その存在は、人間よりもはるかに長く、人知を越えたものであろうから。もしかしたら、素材によっては逆に、人間の存在の意味をも知っていると言ってよいのかもしれない。
いずれにしろ、それでしか人間にとって人知を超えたもの、人間にとって必要な「自然」を実感し、伝えることができないのではないか。建築の素材が音楽における「音色」のように理解された時、建築の意味も素材の意味も生活の意味も、よりはっきりと、より生き生きと自覚できるのではないだろうか。

建物の「素材感」。フランス ・オーヴェルニュ地方
建物の「素材感」。フランス ・オーヴェルニュ地方

前略……なぜ、このようにかつての民家は、建築の過程がその都度都度美しいのか? 棟上げの木組みが美しく、木舞を掻き終えた壁の姿が美しく、塗ったばかりの泥の濡れ色が美しく、乾いていく泥壁の風情がいとおしく。たぶん、それは民家をつくっている建築の素材が、いわゆる建材ではないというところから来ているのではなかろうか。かつて、民家に使われた建築素材は、木であり、竹であり、革であり、泥であり、石であり、砂や砂利であり、稲藁であり、棕櫚縄であり、ほとんど現地で見い出される無償のものだ。無償であるとは、ほんらいなにもののためにあるのでもなく、そのもの白身としてあるものだということだ。樹は、柱や板になろうとして生えたわけではないし、砂利はコンクリートの骨材になるために存在するわけではない。建材というのは、セメントにあれ、プラスチックにあれ、合板にあれ、ガラスにあれ、アルミにあれ、メタルにあれ、あらかじめ建材としての意味を与えられ作り出されたものであって、無償の存在とはいえない。それら、そのあらかじめ与えられた意味以上でも以下でもない存在としてありつづけるだけだ。 そういう意味で、かつての民家を成り立たせてきた自然の素材は、柱になったり、壁になったり、屋根になって建材の一部になっているにしても、建材以上のものだ。いつでも、ほんらいの無償の存在に帰ろうとしているのだから。ゆるやかに時を刻みながら、木は腐蝕し、泥壁は水和し風化し粘土化していくのだ。
たぶん、建築に美しさやいとおしさを感じるとしたら、それはその建材の中に含まれている無償性によってであろう。その建築にどれだけの無償の存在が含まれているかによって、その分だけいとおしさや美しさを感じるのではなかろうか。無償性とは、いいかえれば自然との連続性ということであり、建築の無償性もまたしかりなのだ。
(「左官礼賛」小林澄夫著)

素材の無償性、浅葱土 ― 自然との連続性 ―
素材の無償性、浅葱土 ― 自然との連続性 ―

街の美しさ

《旅人の住む街》

かつて、人は自然の中で生き、土と共に生活していた。死の恐怖と一心同体であったが、生きていることそのものをいとおしいと強く感じていたことも確かであろう。そして、「まつり」があった。自然をふるさとに想い、常に「旅」をしている人間の、無条件の営みであったのであろう。
いつしか人間は、自分の生まれ育った自然を離れ、人間の社会だけで完結した便利な空間、「街」、いや「都市」をつくる。人が生きるために必要だと思う「もの」に「美しさ」というものを感ずるとしたら、その街の中でしか生きていない人々にとっては、自然の木も、面倒な枯れ葉の掃除のもとでしかなく邪魔となり、切り倒されていく。
旅人は旅をやめ、そこにはふるさとを失った「まつり」だけがむなしく残る。 まるで根無し草のように……。

《楽しい街》

街の本質とは何か? 集まって住むことの意味は? 街に住む、いや住まざるを得ない上で、決して避けて通れぬ問題である。ただ言えることは、自然を無視した人間だけの完結した街、いや社会は、それこそ便利で楽しいかもしれぬが、人間の、自然をふるさとに持つ旅人としてのストレスはどうなるのであろうか。自然とは別のサイクルの、人間系の閉じた社会、それは人間の営みの中でのみ生まれた目的のはっきりとした建材と同じで、「生きて」いく上では、そこそこ申し分はないが、いや今ではそのそこそこさえもままならぬ程と思われるが、「本当に生きているという実感」をそこに感ずることが、はたして出来るのであろうか。本当に「楽しい街」になり得るのだろうか?

石積みのロマネスク教会。フランスブルゴーニュ地方
石積みのロマネスク教会。フランスブルゴーニュ地方

《夢》

私は今、フランスの小さな村の教会の前に立っている。川の流れと戯れるように、うねうねと連なる畑の縁を、眼下に見下ろす、小高い丘の上に建っている小さなロマネスクの教会。大きな街のゴシック教会と違い、村々に必ず一つはあり、そして、それは今でも使われて、村の人々の心のよりどころとなっている。その土地の小さな石が、おそらく村人達自身の手によるのだろう、素朴に丹念に積み上げられている。そして、それをいちいち確かめるように、石灰と土とで包まれている。ちょうど追われた民が、失われた魂を悔い、そして残すかのように。無条件に美しい。どんどん世界はグローバル化し、ますます抽象化され、鉄とガラスの未来都市さながらの風景を呈す中、緑豊かな森や川の流れる、土壁や石の街並を想いうかべるのは、そんなに罪なことであろうか。せめて舗装された道でなく、士道の草花を愛でながら街を歩いてみたいのである。
重い扉を開け、教会の中に入る。底光りのするうす暗さに包まれる。ふっと日本の茶室と思った。いや、よくみると高窓から陽の差し込む土壁で囲まれた蔵の中にいるようにも感じた。いや、違う。だんだんと目が慣れてくる。うっすらと絵が描かれているようだ。そう最後にはっきりと写ったのは、明るく色鮮やかな、さわやかな縄文の森であった……。

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