アトリエボーヌ 丸山保博建築研究所

西欧の手法と和の心を取り入れ手づくりの良さを生かしながら心やすらぐ情緒的完成度の高い建築を提案していくアトリエです。
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里山の家

大きな栗の木の下の里山の家

玄関部分

玄関ひさし


大きく張り出したテラス

テラスに面した居間の窓

屋根の軒裏


外壁の腰石壁

遠景

玄関の引手


内部のあらわし天井としっくり壁

居間よりテラスを望む

玄関より居間をみる


居間のストーブと和室

和室より居間をみる

木あらわしの梁と丸天井、漆喰(しっくい)


照明は特注のガラス製「葉音」

八角大黒柱と食事スペース

厨房


寝室と和室

厨房の大理石モザイクとタイル

浴室。壁はさわらの木


洗面所

建物概要

所在地 長野県伊那市西箕輪
用途 専用住宅
竣工 2014年

西洋の文明は、一方的な方法で自然と向き合い征服し、近代の文明を作り上げたと言われる。
そのスタートの時期を牧畜に置くなら、日本のその場合、独特の自然とのかかわり合いを持つ遠く縄文時代にまでさかのぼることになろう。
都心に長年住み、生まれ故郷に戻り住むために建てられた住いです。
西洋型一辺倒ではない日本の自然に根ざした里山の家をつくりたかった。

- 安田喜憲著「日本よ、森の環境国家たれ」より -

 家畜を拒否した日本人は、水田の肥料を家畜の糞に頼ることができなかった。弥生時代以降、日本人は、水田の肥料を森林の下草に求めた。森の下草を苅敷として水田に敷き込むのである。これが水田の地力を維持する重要な肥料となった。もちろん水田を維持するには灌漑水が必要であり、水源涵養林としての森の維持も必要不可欠だった。

 こうした下草をとったり薪をとったりする山のことを里山という。日本の水田稲作農作はこの里山の資源を有効に利用する森の農業として出発したのである。そして、縄文時代以来の、人々が春には山菜をとり、夏には魚貝類をとり、秋には木の実を採取し、冬にはイノシシやシカ狩りをするという季節に応じた生活も維持された。水田稲作農業はこうした縄文時代以来の季節を核とした「自然=人間循環系の文明」(拙著『世界史のなかの縄文文化』)に、付加的に付け加わったにすぎないのである。このため縄文時代以来の森の文化の伝統は、水田稲作農業の伝播によっても大きく破壊されることなく、日本人のライフスタイル - 縄文時代以来の再生と循環のリサイクル思想 - 根幹を形成するものとして、受け継がれたのである。

―― 中 略 ――

日本人は稲作に里山の森の資源を利用するという、世界でもまれな里山の農業を確立することに成功した。日本人は縄文時代以来、森との共存が得意なのである。その森の共生・共存の伝統の上につくられる未来都市は森林都市でなくてはならない(平野秀樹『森林理想郷を求めて』中央新書)。森は日本の国土の生命線であることを強く認識し、防災や国土保安にあたる。そして森は命の水の源である。森から生まれる川の流域を基本にした国土づくりこそが必要である。

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